やまさ海運のクルーズ船に乗りこみ、軍艦島(端島)に向かっております。
http://bkyugourmet.net/gunkan_yamasa/
大体、長崎港から30分くらいかな?見えてきましたね~(^^)
まあ、こうして遠目に見ると、
海岸沿いにリゾートマンションでも建っているかのような島です。
スポンサードリンク
そのコンクリート剥き出しの廃墟群が、
不気味さと虚しさを訴えてくるような圧倒感!
まあ、よくぞ閉山後も、ここまで波風に負けず、持ちこたえたなってところか。
閉山が1974年(昭和49年)ですから、40年経っているんですよ。
台風もその間に何度もここを通っているわけですからね。
へ?なんでこんなところで釣りしてる人おるん?
後で調べてみると、この近辺、かなりええ漁場になっているらしく、
渡船もあるみたいなんですよ。
けど、ここ端島は無断上陸って禁止されているのでは?
まあ、私は釣りやらんし、興味ないからどうでもええですけど。
さあ、だいぶ近づいてきました。
クルーズ船が、停泊場に着く直前に、その一番高いところにある建物を撮影。
ここは幹部用の建物やったみたいですね。
その下の防波堤の突き出たところにいるのが釣り客です。
最初、なんであんなとこに人いてるん?って思いましたが。
こっちには、炭鉱関連の施設があったらしいんですけど、
ほとんどが崩壊してしまったようですね。
40年前の遺跡とは思えないな~100年は経っているかのような雰囲気。
ズームで撮影。
なんやと思います?
神社の跡なんですよ。
他に、お寺もあったそうです。
そんで、上陸!
また、ここからの写真枚数も多いですから、以下で別記事にしますね。
http://bkyugourmet.net/gunkan_jyouriku/
島をぐるりと周遊してくれます。
こちらは、島の北側。
前に見えている、左側の建物は小中学校やったとのこと。
相当でかいでしょ?
これだけ多くの子供が通っていたことから、
この島の人口がすごかったのが分かりますね。
最大5000人以上もの人々が、このわずか周囲1.2kmの島に住んでいたんですよ。
この人口密度は、東京都市部の約10倍近くであったのだとか。
この写真からの位置が、結構よく見られる風景ですよね。
この辺りは、完全に労働者用の居住マンションになっています。
この島の西側は相当な波の高さで、台風の時には、
このマンション群が防波堤代わりにもなったらしいですね
ですので、これ。
完全にがれきの山になってますけど、ここは木造建築やったとのこと。
バラバラで跡形も残ってないです。
大正時代に戦艦「土佐」って軍艦が存在していたんですが、
その姿と非常に似ていたから、この軍艦島という名称が名付けられたそうです。
この軍艦島(端島)には墓地がなかったんですよ。
なので、この島にまで船で運んで、火葬、そして埋葬されたんだそうです。
この光景は一生忘れることないですね。
ええ経験できました。
またできる限り、こういう産業遺産で立ち入りできそうな箇所は、
その目に焼き付けたいし、写真にも残したいですね。
行ってよかった?
★★★★★★★★★☆(10段階評価で星9つ)
上陸編は以下で。
【送料無料】ワンダーJAPAN(日本の不思議な《異空間》800)
スポンサードリンク