セナ・プロスト・マンセル・ピケが仲良く肩組んでる写真を見て・・・(1986年シーズンでのF1)

ふと今、以下の写真を見て、あの頃のF1は・・・って思ってしまったので、
突発的に記事を書いてみたいと思います。

f11986_1

日本のF1ブームの始まりは、1987年に遡ります。
もうすぐ30年の時が経とうとしておりますね。
そりゃ私もおっさんになるわな~

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この1987年に何が起こったのか?
まず、日本人初のシーズン通して参戦するF1ドライバー「中嶋悟」の誕生です。
私も中嶋さんがいなければ、F1を見始めることもなかったでしょう。
そして、フジテレビでF1全戦中継が始まったのもこの年です。

個人的にこの年からF1を見始めたきっかけとしては、
車の免許をとったのもこの年でした。
周りに、大阪環状や、神戸再度山(六甲)を走ってる人間も結構いたりして、
車に俄然興味を持ちだした年でもあったんですよ。

あ、上の写真の話に戻します。
その1987年当時、F1を観戦してた方々には懐かしい面々ですよね(^^)
左から、セナ、プロスト、マンセル、ピケ。
別に私が、ここに名前載せないでも、分かるでしょうけど(^^;)
全員がワールドチャンピオンになっております。
この写真が撮られたのは1986年のシーズン中、ちょうど30年前でした。

セナはまだホンダエンジン搭載車に乗る前年でしたね。
その後、ロータス→マクラーレンに移籍して、
マクラーレンホンダの黄金時代を築きます。
1990年前後の熱狂的なセナ人気はバブル期の日本で、
異常的にも思えるほどでした。
車好きなら、誰もがF1を見ていた時代ではないでしょうか。

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プロストもセナのライバルとして、日本F1ファンにもよく知られた存在です。
セナプロ対決と言われ、1989年、
1990年の鈴鹿でのアクシデントは今でも目に焼き付いてます。
あ、この当時、鈴鹿のチケットもプレミアもんでした。
競争率は30倍以上で、私は50枚ハガキ送っても、当たらなかったですもん。
なので、鈴鹿で直接F1を観たのはだいぶ後の話になります。

そして、マンセル。
この異常F1人気の時には、無冠の帝王と呼ばれてましたね。
暴れん坊の異名で、よくレースでも一悶着起こしてました。
私が一番印象に残っているのは、
黒旗(ピットレーンでの違反行為で失格)を無視して走り続け、
セナにぶつけた1989年のポルトガルGPやったな~
ありゃ、セナファンやったら、誰もが激怒したはず。

最後にピケ。
1987年にウィリアムズホンダで、ワールドチャンピオンになりましたね。
1988年からロータスホンダに移籍し、中嶋のチームメイトになります。
しかし、1988年のロータスホンダはシャシーが悪過ぎた・・・
マクラーレンホンダと同じエンジンが載ってる車やとは思えない遅さでしたよね。
その後1990年にベネトンに移籍して、あの鈴鹿でのモレノとの1-2フィニッシュは、
あの当時、F1を観ていた人間には誰もが印象に残っているでしょう。
(鈴木亜久里も3位表彰台でしたし)

この写真見て、記事を書こうかなと思ったのは、今のF1と比較して・・・

1994年セナのサンマリノでの事故死後、急速に日本でのF1ブームは下降線を辿りました。
そして、その下降線は現在までずっと続いていると思います。
既に、F1を無料中継しているテレビはもうなく、フジテレビでの有料チャンネル中継のみ。
さらに、日本人ドライバーも小林可夢偉以降、
誰もF1に上り詰めそうなレースドライバーはいません。
マニアックなスポーツになっちゃったよなってイメージです。

はっきり言いまして、私、今のF1は全く観てません。
フジテレビの有料チャンネルを見ることができない環境で生活してますし、
昨年の日本一周車中泊旅で見る暇なく過ごしてたら、興味が完全に薄れたんですよね・・・

果たして、あの1987年から約5年間ぐらい熱狂的に観てたあの気持ちで、
再度F1を観ることが今後あるでしょうか?
ワールドチャンピオン争いできる日本人ドライバーでも現れたらね~
2016年現在、あと10年は現れないと思いますけど・・・

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