大久野島に渡って、野生のウサギと戯れたわたくしめ。
しかし、私のメインの目的はそうじゃなかった。
日本一周をやってる私の旅テーマの1つにこういうことがあります。
「戦時遺産を巡る」
そう、太平洋戦争時の悲惨な遺物をブログで紹介すること。
私が常々思っているのは、現代の平和な日本でこうして旅が出来ているのは、日本という国のために、命を犠牲にした人々がたくさんいるから。
感謝の気持ちを忘れずに旅を続けていけるよう、こういう戦時遺産を巡り、またこんな場所もあるんだよと、日本人の1人でも多く知ってもらいたい、そんな気持ちで旅を続けております。
ウサギで大人気の大久野島ですが、ひっそりとこんな施設もあります。
「毒ガス資料館」。
太平洋戦争時、この島には毒ガスの製造工場がありました。
そして、ウサギはその実験動物用に飼われていたんです。
そういう悲しい過去がある島なんですよ。
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では、入場いたしましょう、100円でした。
毒ガス製造に使われた器具が展示されています。
毒ガス防護服。
なにやら得体のしれない器具。
液体毒ガスの製造装置なんだそう。
液体毒ガスは、合成、分解、蒸留、変成という行程で作成されるんですけど、そういう複雑な製造過程はこんな器具で作られるんですね。
そして、こんな毒ガス爆弾が作られました。
ただ、こういう爆弾がどこで使われたのかは、全く不明なんだそう。
この島で製造された毒ガスの種類が展示されていました。
日本ではこの大久野島が、毒ガス製造の中心地になりました。
ただ、この島での実験対象として、ウサギが使われましたけど、日本軍は中国大陸でも、毒ガス実験をやってました。
旅本編でも触れましたけど、731部隊という毒ガス実験部隊です。抗日運動で捕まえた中国人を死刑という名目で人体実験したんです。
私が初めて知ったのは、「悪魔の飽食」という本を読んで。
読んだのは中学生の頃でしたね。
ただ、その信ぴょう性は今では疑問が問われています。
しかし、この島でも毒ガスの犠牲になった方がいます。
作業中の事故で青酸を浴びて、工員の方が亡くなっております。
あ、それから、これは余談ですけど、現在、大久野島にいるウサギは、この毒ガス実験用に飼われたウサギの子孫ではないらしい。
終戦時の毒ガス工場閉鎖する時に、全羽殺傷処分されたとのこと。
すると、今繁殖してる先祖はどこからやって来たんでしょうね?
あと現在でも、その毒ガス工場の跡は、この島に残ったまんまです。
こういう廃墟巡りも私の旅テーマですけど、このママチャリ旅ん時は時間なく行けなかったのでこのパネルのみ。
この島にやってくる観光客の方は、こういう事実を知らない方が大多数だと思います。
毒ガスの悲惨さがあって、今の人懐っこいウサギがこの島に生息しているのだという、そういう時代背景は知ってもらいたいなと、今回3回に分けて大久野島を記事にしました。
住所:広島県竹原市忠海町
電話:0846-26-3036
営業時間:9:00~16:30
定休日:年末年始(12月29日~1月3日)
入場料:19歳以上100円、19歳未満50円
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